お笑い芸人のやす子さんが24時間テレビで2024年のチャリティーランナーに選ばれました。
今回のチャリティーで集まった寄付金は全て全国600ヵ所以上の児童養護施設に届けることを目的に行われるようで、
やす子さんは『お世話になっていた児童養護施設に恩返しをするために全力で走りたい!』と意気込みを語っています。
どういった経緯でやすこさんが児童養護施設にお世話になったのか、生い立ちがとっても気になりますね!
そこで、やす子さんの両親や家族構成など、生い立ちについて調査してみました。
やすこの生い立ちが悲惨?
山口県出身のお笑い芸人やす子さんは”明るく、愉快で優しい”というイメージから、山口県民が選ぶ地元の顔ランキングで卓球の石川佳純選手に次ぐ堂々2位に選ばれる人気者です。
山口県出身の有名人は他にもユニクロの柳井社長、YOASOBIのAyaseさん、エヴァンゲリオンの庵野秀明監督など、堂々たるメンバーがいる中、2位に選ばれるなんてすごい人気ぶりですね!
そんなやす子さんですが子供の頃に両親が離婚し、15歳で児童養護施設に保護を求めるなど、波乱の人生だったようです。
芸人やす子の生い立ちをまとめると、以下のようになります。
1998年山口県宇部市に生まれる
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2歳で両親が離婚。父親が家を出ていく
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5歳で母親が再婚。継妹が生まれる
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母親が再び離婚。母子家庭でパンの耳で空腹をしのぐ極貧生活を送る
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14〜5歳で交通事故に遭い、人間関係や家庭環境が悪化。児童養護施設に自ら保護を求める
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高校生でいじめを体験。クラス全員からハブられる
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高校卒業後、自衛隊に入隊
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2年後自衛隊を辞め東京へ。清掃員などのアルバイト生活を送る
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2019年、友人の誘いでお笑い芸人の道へ
一つずつ見ていきましょう!
1998年山口県宇部市に生まれる
#こどもの日
— やす子 (@yasuko_sma) May 5, 2023
子供の時も大人の時も楽しいなあ🎵 pic.twitter.com/Ea00iHIa0B
芸人やす子さんの幼少期の写真です。
屈託のない笑顔に現在のやす子さんの面影がありますね。
やす子さんは山口県宇部市西岐波町で生まれ育ちました。
幼稚園はかつて、近くの「ときわ公園」からモモイロペリカンの”カッタくん”が遊びに来ることで有名になった「明光幼稚園に通っています。
自然豊かで子育てに適した環境は、明るく元気なやす子さんの人格形成にも役立ったのではないでしょうか?
2歳で両親が離婚。父親が家を出ていく
やす子さんが2歳の時、お父さんが家を出て行ってしまって、やす子さんにはお父さんの記憶が全然なかったと言います。
しかしながら、芸人になってお父さんの方から突然連絡があり、やす子さんは再会を果たします。
自分の個人情報、生まれた時間、日にちを知っている人からリプライが来たんですよ。
何で知っているんだろう?と思ったら、自分のお父さんで、ビックリしました!
会ったこともなかった父親とは、たくさんの共通点があり、驚きの連続だったそうです。
- 水泳と柔道をやっていた。
- 父親も元自衛官だった。
- 見た目と性格がそっくり。
と、自分の生き写しを見ているようだったと語っています。
しゃべり方とか見た目とか、ちょっと人見知りな、わーってなっちゃうところとか、そっくりでした。
やす子さんもビックリしたでしょうが、お父さんもテレビで自分の娘を発見した時はさぞかし驚かれたことでしょうね!
5歳で母親が再婚。継妹が生まれる
やす子さんのお母さんはその後再婚し、やす子さんが5歳の時に妹が誕生しています。
お母さんが離婚した原因や、再婚に至った経緯は明らかになっておりません。
新しい家庭は必ずしも円満ではなかったようで、やす子さんは母親や、継父から虐待を受け、
『家から出ていけ!』
と、なじられたこともあった、と告白しています。
街中を彷徨いている時に児童養護施設の人に保護されたとか・・・
現在の、元気で朗らかなやす子さんからは、想像できませんよね!
やす子さんは16歳から22歳になるまで、お母さんとは音信不通だったそうですが、この頃の体験が尾を引いていたのかもしれません。
お母さんも若かったために、主婦業や子育てが大変だったのでしょうね。
母親が再び離婚。母子家庭でパンの耳で空腹をしのぐ極貧生活を送る
やす子さんのお母さんは再び離婚して、シングルマザーとして2人の娘を育てることになりました。
昼夜問わず、外に働きに出ていたということですが、生活は困窮を極め、
- 家にテレビ・洗濯機が無い
- 学校の制服はお下がりが当たり前
- 率先して給食係になり、余った牛乳やパンを夕食用に持ち帰る
- 夏休みや冬休みは悲惨。50円で食パンの耳を買って空腹を満たす。
- 修学旅行の費用は先生に立て替えてもらった。
などといったエピソードがあります。
TBS系「坂上&指原のつぶれない店」で、貧しかった幼少期の食生活を告白していますが、
いかにお腹をふくらませるかに命をかけていた。
といい、幼い妹のために知識が無いながらも、パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたり、砂糖をマヨネーズやココアに変えて味変するなど、工夫をこらして妹を喜ばせていたようです。
やす子さんは放送後、Xで「VTRでは可哀想な感じに見えますが実際子供の頃は貧乏だけどとても楽しかったし、1人で育ててくれた母親には感謝しています 今はとても母と妹とも仲いいです」とポストしました。
VTRでは可哀想な感じに見えますが実際子供の頃は貧乏だけどとても楽しかったし、1人で育ててくれた母親には感謝しています😄😄😄😄
— やす子 (@yasuko_sma) December 3, 2023
今はとても母と妹とも仲いいです#坂上指原のつぶれない店
苦労はしたかもしれないけど、こういった経験がやす子さんをタフにしていったんですね!
やす子は児童養護施設育ち!
母と妹という、3人家族で貧しいながらも楽しかったと話すやす子さんですが、辛さに耐えかねて児童養護施設のお世話になったことがあると告白しています。
14〜5歳で交通事故に遭い、人間関係や家庭環境が悪化。児童養護施設に自ら保護を求める
やす子さんはフジテレビ系列の番組「突然占ってもいいですか?」の中で、占い師から『今まで死んでもおかしくない出来事が起きていたはず』と指摘され、
14〜5歳の時に死んでもおかしくないくらいの交通事故にあった
と告白しています。
なぜか、その頃から人間関係や家庭環境が悪化して、やす子さんは親元を離れて児童養護施設でするようになりました。
そんな大事故にあった被害者なのに、家庭環境が悪化するなんて、一体何があったの?謎です
高校生でいじめを体験。クラス全員からハブられる
そんな、たくましくて天真爛漫なやす子さんですが、高校生の時、ふとした一言がきっかけで友達を怒らせて無視されるようになりました。
やがてクラスからも孤立して、お昼ご飯はいつもトイレにこもって食べていたと言います。
また高校の先生がやす子さんが児童養護施設にいることをクラスメイトに暴露してしまい、いじめはさらにひどくなって行ったようです。
- 学費も滞りがち
- クラスで孤立
- 人とうまく関わることができない
そんな理由からやす子さんは『もう人生終わりにしたい・・・』と思ったこともあったようです
それでも人生を諦めなかったやす子さん。だから今の成功があるんですね
高校卒業後、食べるために自衛隊に入隊!
子供の頃は漫画家になりたいという夢を持っていたやす子さん。
高校卒業して児童養護施設を出なければならなくなって、就職で最優先したのは
でした。
18歳を過ぎたら、誰も助けてくれない。未成年で家も借りられないので、衣食住が揃っているところに、安定を求めて入った」そう。
当時、地元では、その条件を満たす就職先はパチンコ店か自衛隊しかなくて・・・
パチンコ店の採用に落ちたので、「助けてくれ」という思いで自衛隊に入りました
2年後自衛隊を辞め東京へ清掃員などのアルバイト生活を送る
そんな食べるために自衛隊を選んだやす子さんでしたが、2年間務めた後、自衛隊を辞めて東京でアルバイト生活を送ります。
ある日、歩いてるときに突然「辞めよ」と思い立ちました
自衛隊では上官にも恵まれて『心から感謝している』と話す、やす子さんでしたが、やはり自衛隊での訓練は過酷なものがあったのでしょうね。
東京へ出て、清掃員などのアルバイトで生計を立てることになりました。
やす子さんは人付き合いがあまり得意ではなかったと言いますから、ある意味、清掃の仕事などは人生の休息になって良かったのかもしれません。
この間約半年。
やす子さんはリセットできたのか、また新たな道を進むことになりました。
自衛隊時代に仲間だった人から
『一緒にお笑い芸人にならないか?』
と誘われるのです。
2019年、友人の誘いでお笑い芸人の道へ
やす子さんは友人の誘いで「ソニーミュージックアーティスツ」に履歴書を送り、採用されることになりました。
当時は履歴書が書けたら誰でも入れる事務所だったんですよ
と話してますので、不安はいっぱいあったことと思います。
結局、友人は『もっと若手の多い事務所に行きたい』といって、初ライブを行う日にドタキャンして来なかったそうです。
やす子さんは、またもや窮地に立たされるわけです。
しかしながら、そんなことで挫けるやす子さんではありませんでした。
自衛隊での経験を生かしたピン芸でブレイクして、一躍、人気芸人に上り詰めました。
今までの苦労が実りにつながって本当に良かったですね
まとめ
今回、24時間テレビで2024年のチャリティーランナーを務める、お笑い芸人のやす子さんの生い立ちについて調査しました。
正直、今まで私は、やす子さんに対して好印象を持っていませんでした。
しかしながら、今回やす子さんについてリサーチしていく中で、やす子さんが小さい頃から円満な家庭に恵まれず多くの困難を乗り越えてきた”頑張り屋”さんだということがわかりました。
たくさんの不遇な出来事があった身の上の中、全力で前へ前へと進んできた、立派な1人の女性の人生に感銘を受けました。
フワちゃんは、やす子さんをヘンに茶化したような投稿をして炎上したけど、彼女の生い立ちを知らなかったのかな?
- 本名:安井かのん
- 生年月日:1998年9月2日
- 年齢:25歳
- 血液型:A型
- 出身地:山口県宇部市
- 所属事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
- 特技:射撃・水泳・柔道
- やす子さんが入っていた児童養護施設ってどこ?
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やす子さんが入っていた養護施設がどんなところなのか、現在のところ明らかになっておりません。
情報では、山口県の宇部市内ではないかと言われています。
当時の施設の職員さんとは今でも交流があるようで『あの時サインもらっておけば良かった〜』などと言われるそうです。
今回チャリティーマラソンの企画によって、やす子さんが育った児童養護施設を訪れる、といったシチュエーションもあるかもしれないですね。
- 児童養護施設ではいじめられたり、嫌な思いはしなかったの?
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やす子さんは施設に入って、愛情をたっぷり注いでもらったと懐かしんでいます。
時には兄弟ゲンカのようないざこざもあり、家庭的な雰囲気があったと語っています。
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