細谷健一の生い立ちや経歴が気になる「学歴や風貌はまるで金正男」

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その風貌から「金正男」そっくりと言われている細谷健一(43歳)です。東京の一等地浅草に生まれ育ち、将来の安定も保証されていたに違いない細谷健一はあろうことか我が子を毒殺した容疑で逮捕されました。

細谷健一はどのような子供時代を過ごし、どのような経歴の持ち主なのか気になりますよね?

本記事では細谷健一の経歴や学歴、Facebookなどについて調査してみました。

目次

細谷健一の生年月日は1980年

細谷健一の正確な生年月日は明らかになっていませんが、今年2月の逮捕時43歳となってますのでおそらくは2024年に44歳の誕生日を迎えるのではないかと思われます。

なので逆算すると生まれ年は1980年ではないかと思われます。

生まれも育ちも東京都台東区です。上に姉が二人いて、父親待望の男の子誕生でした。

>>父親の細谷勇さんについてはこちらの記事に詳しく書いています

細谷健一の学歴を調査

細谷健一は東京都北区中里3丁目にある聖学院という幼稚園から高校まで私立の一貫校に通っています。

聖学院は、幼稚園から大学まで、プロテスタント派のキリスト教に基づく教育を行う総合学園です。

1984年4歳の時に 聖学院幼稚園に入園しています。JR駒込駅から程近い場所にありますね。浅草からも車で20分程度なので、自家用車で送迎していたのかも知れませんね。

健一容疑者の幼少期の印象を母親と仲が良かったという親戚の人が次のように語っています


「ええ、ケンちゃん(健一容疑者)ね…。私は亡くなったケンちゃんのお母さん、Yさんと仲良しで、月に2~3回ほど遊びに行ってたんですけど、小さいころのケンちゃんは礼儀正しい子という印象しかなくて…。

それこそ家にお邪魔したときには、まだ3歳とか4歳なのに、『よくいらっしゃいました』とか『お気をつけてお帰りください』なんて大人顔負けの対応をしたものですよ。まるで大人が子どものフリをしてるみたいで少し怖くなったくらいでした。『家業の跡取り息子』としてケンちゃんを相当かわいがってたみたいで、上のお姉ちゃん2人は公立の学校だったのに、ケンちゃんだけ私立の付属校の幼稚園、小中高に通ってました。ふだん着ている服も襟つきのシャツにベストみたいな感じでお姉ちゃんより明らかに仕立てがよくて、いかにも“お坊ちゃん”といった感じの子でしたね」

引用元:集英社オンライン

幼稚園から小学校へは毎年6〜7割の子が推薦制度を利用して小学校へ入学するようです。細谷健一容疑者もお受験を経ずに2年後の1986年に聖学院小学校入学したものと思われます。

そのまま同じ敷地内にある聖学院中学校・高等学校へと順調に進学しています。ですが、大学受験に一度失敗したのでしょうか?1999年、19歳で東洋大学の経済学部に入学しています。

細谷健一Facebookは?

細谷健一は2011年、「浅草ホテル旅籠」の広報を目的としたのかfacebookを始めています。友達も4人でいずれもホテル建設で関わった仕事関係の人たちのようです。

浅草周辺の見どころや美味しい食べ物の紹介を試みたようですが、投稿は2011年12月にホテルの外観を紹介したところで最後になっています。

>>浅草ホテル旅籠についてはこちらの記事に詳しく書いています

2003年22歳:大学卒業後、職を転々とした後に、「ホソヤ産業」に入社

マンションにある看板

一浪を経験して東洋大学に入学した細谷健一容疑者でしたが、浪人は人生初めてのつまずきだったのかも知れません。この経験を生かして大学で学びを深めていれば、あるいはお父さんの期待通りの人間に成長していたかも知れませんが、健一容疑者にはその器はなかったようです。

両親の過保護、過干渉も大学時代まで続いていたことでしょう。嫌気がさしたのか、父親の会社「ホソヤ産業」には就職せず、電気店の店員、婦人靴の販売員などの仕事につきましたが、どれも長続きしなかったようです。

まるで殿様のような育てられ方をして、一販売員の仕事など長続きするはずがありません。この時期に志保容疑者が務める店に足繁く通うようになり、知り合っています。

志保容疑者が働いていたのは”体を密着させて接待する”いわゆる風俗関係の仕事だったようです。健一容疑者は”太客だったといい、かなりの散財をしていたものと思われます。一介の販売員に風俗店で豪遊するだけの収入があったとも思えず、母親から金銭面で援助があったのかも知れませんね。

多くの母親は息子からお金を無心されると可愛さのあまり、『お父さんには黙っておいて』などどお金を渡してしまうものです。お金を受け取った時の健一容疑者はこれ以上ないというくらい感謝して、可愛く見えていたことでしょう。

母親は『このお援助で息子は救われる』と信じて疑わなかったことと思います。ですが実際はお金は全て志保容疑者に吸い取られていたわけです。

2009年健一容疑者29歳、志保容疑者23歳の時二人は結婚します。当然のように両親は反対しますが、ホテルの開業もあってか結婚は許され、健一は「ホソヤ産業」に入社しています。

2012年、32歳「浅草ホテル旅籠」開業にともない支配人に

2011年ごろのホテル開業準備期間には健一容疑者もfacebookを立ち上げたり「ホソヤ産業」の跡取りとして

父親のねらい通り、インバウンド効果もあってホテルは大繁盛します。浅草駅から徒歩2分という便利な立地もさることながら、日本古来の趣ある外観やビジネスホテル並みの低価格、サービスの充実で人気のホテルになりました。

>>ホテル浅草旅籠についてはこちらの記事に詳しく書いています。

ですが、金銭面のトラブルを起こし父親を再び激怒させ勘当を言い渡された夫婦は千葉県流山に転居します。

その後子供が産まれ、父親の勇さんは観念したのか2016年には二人を呼び戻します。ここから細谷家の運命は一変します。

子供が産まれた千葉県流山で夫妻はすでに「育児能力がない」と要支援家庭に指定されていました。東京に転居する時には流山市から「要支援家庭」の情報を引き継がれています。

両親はこのことを知っていたのでしょうか?

細谷勇さんが一代で建てた自宅マンションはあっという間にゴミ屋敷になっていくのです。

>>ゴミ屋敷と化したマンションについてはこちらの記事に詳しく書いています。

細谷健一生い立ちと経歴時系列まとめ

健一容疑者の生い立ちを誕生から事件発生までを時系列でまとめてみました。

1980年、東京都台東区浅草に生まれる
1984年4歳、聖学院幼稚園入学
1986年6歳、聖学院小学校入学
1993年13歳、聖学院中学校・高等学校入学
1999年19歳、東洋大学経済学部入学
2003年22歳、大学卒業後は電気店販売員、婦人靴店販売員などの職につく
※この間風俗店で志保と「太客」と「従業員」の関係に
2009年29歳、志保氏と結婚
2012年32歳、浅草ホテル旅籠開業支配人なるも、感動を言い渡され、千葉県流山市に転居
2014年34歳、長男誕生
2016年36歳、長女誕生この後父親に感動を解かれ、浅草に転居父親の建てたマンションに移り住む。
※この時は最上階のペントハウスに両親と姉が住み、健一容疑者は別の部屋に住んでいます。
2018年38歳、1月に母親が死去。
※健一容疑者は最上階へ移り、父親と同居します。その後姉は別の階へ移動。
同じく2018年4月姉が不審死を遂げる。
※死因は解明されず、姉の遺体の組織は保管されることになります。
同じく2018年6月父親勇さん死去>>父親の細谷勇さんについてはこちらの記事に詳しく書いています
※報道によると、死因は「白血病」とのことです。
同年38歳、ホテル、マンションを相続し、「ホソヤ産業株式会社」代表取締役に就任
2024年43歳、次女美輝(よしき)ちゃん殺害容疑で逮捕

健一容疑者は一貫して殺害への関与を否認している模様です。健一容疑者は周囲の人にも甲斐甲斐しく子供や志保容疑者の世話を焼く姿が目撃されています。

純粋培養で育った健一容疑者が正反対とも言える環境で育ってきた志保容疑者に何らかの形でマインドコントロールを受けていたのも否定できません。

この上ない成育環境で大事に育てられた健一容疑者です。両親、姉、子供たちに感じていた愛情を思い出し、1日も早く真実を語ってほしいものです。

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