自民党総裁に選出された石破茂氏は、永田町の中でも最も愛妻家として知られています。
それもそのはず、奥様の佳子さんとは慶應義塾大学の同級生で、当時から美人で男子大学生の憧れの的だったといいます。
そこで今回は、奥様の佳子さんがどんな経歴の持ち主か、また石破茂氏との馴れ初めなどについてまとめてみました。
ぜひ、最後までご覧ください。
石破佳子のWiki経歴プロフィール
石破佳子さんの経歴はこちらです
- 名前:石破佳子(いしばよしこ)
- 旧姓:中村佳子(なかむらよしこ)
- 生年月日:1956年8月26日
- 年齢:67歳
- 出身:東京都
- 学歴:女子学院中学高校・慶應義塾大学法学部卒業
- 実家の家族構成:父中村明(元昭和電工取締役)母中村博子・姉百合子
- 現在の家族構成:夫石破茂(67歳)娘2人・長女(37歳)次女(34歳)
石破佳子さんは、東京都港区に本社のある「昭和電工」の社長中村明氏の次女として誕生しました。
当時、日本は高度成長期で、佳子さんは社長令嬢として裕福なご家庭で成長したことでしょう。
社長令嬢に相応しく女子学院中学・高校を経て一浪したのち、慶應義塾大学法学部に進学しています。
慶應キャンパスでは美人で性格も良いと「男子大学生の憧れの的」だったと言う佳子さん。
夫の石破茂さんとは慶應の同級生でしたが、石破総裁にとって佳子さんは”高嶺の花”で近寄りがたかったと言うことです。
当時の写真はネットではあまり出回っていませんが、若い頃は”女優の石田ゆり子”にも似た可憐な美人だったと言うことでした。
お二人の顔画像を比較してみましょう。
左の石破佳子さんは50代ですが、とても若々しくお綺麗で、石田ゆり子さんによく似ていますね!
女優の石田ゆり子さんとは現在のお顔も共通点が多く、若い頃はさぞかし美人だったことでしょうね。
石破佳子は丸紅のエリート社員だった
石破佳子さんは慶應義塾大学法学部を卒業したのち、日本を代表する大手総合商社「丸紅」に就職しました。
「丸紅」とは三井物産三菱商事住友商事伊藤忠商事と並ぶ日本を代表する5大総合商社の一つです。
佳子さんは丸紅の中でもエリートで、経営に関わる仕事に従事していたといいます。
この頃の女性は「寿退社」と言って、結婚=退職が一般的でした。
佳子さんも1983年に結婚を期に退職されましたが、そのまま続けていれば今頃、重役になっていたかもしれませんね。
その後、夫の茂さんは地元鳥取から衆議院議員に選出されましたが、当選に至ったのは夫人の佳子さんの助力が大きかったことは間違いないでしょう。
佳子さんは、初めてのことだらけで大変だったようです。
夫石破茂氏との馴れ初めは?
石破茂さんと妻佳子さんは同じ慶應大学法学部の同級生として三田キャンパスで知り合いました。
石破氏は、初めて教室で佳子さんを見た時「こんなきれいな女性がいるのか」と、驚愕したそうです。
親しくなったきっかけは、石破茂さんが学期末試験対策の勉強サークル「石破のヤマ掛け講座」と言うのを開いていて、そこに友人に誘われて佳子さんが参加してことだったようです。
当時、夫は学期末試験対策の勉強会サークル『石破のヤマかけ講座』を開いていました。友人に誘われて、私がそこに参加したのが、最初に話をしたきっかけです。
初め、佳子さんは「感じ悪い人」と思ったといいます。
その時、私の出身高校を知っていて、“ぼくの2人の姉も同じ高校の出身だ”という話をされたのですが、言い方が気になって、あまり第一印象はよくなくて…(笑)
しかしながら、石破茂さんが
- 他の男子生徒とは違ってきちんとした身なりで真面目そうだった。
- 勉強会で人数分のドーナツを用意したり、男女問わず親切で人気者だった。
ということから、佳子さんも打ち解けていったようで、次第に親しい友人になっていきました。
なんとなくパートナーとして意識し合うようになっていたのでしょう。
石破茂さんは、卒業謝恩会で「結婚を前提に付き合ってもらえませんか」と告白したということです。
この時のことを佳子さんは次のように語っています。
当時、彼は銀行への就職が決まっていました。
告白されたとき、“学者や弁護士を目指していたけど、君と結婚するために、安定した道を選ぶよ”と言いたげな雰囲気を感じたんです。
当時は女性への社会の門戸は狭く、就職しても一般職しかない時代。
男性は何にでも挑戦できて羨ましかった。
“結婚したいからといって、やりたいことを諦めるのは、やめてほしい”という気持ちから交際を断りました。
卒業後、お互い別の道に進み、一度は疎遠になりました。
石破さんはモヤモヤしていたでしょうね!
しかしながら、2人は赤い糸で結ばれていたのでしょう。
1981年に石破氏の父で参議院議員の二朗氏がお亡くなりになります。
その際、佳子さんが友人たちと連名で香典を送ったことをきっかけに、再び連絡を取り合うようになったそうです。
駆け出しの銀行員だった彼は、「定期預金口座の新規開設」の営業ノルマがあったようなんです。
それで私に“口座を作ってもらえないか”と連絡がきて、ランチをしました。
今思い返せば、口実だったのかもしれません(笑)
それからは自然に交際が始まり、婚約に至ります。
ちなみに最初のデートは映画「連合艦隊」だったそうです
佳子さんは銀行員の妻になるつもりでいたのに、石破茂さん父親の後を継いで、政界に打って出たのはまさしく”青天のへきれき”だったということです。
でも佳子さんに「一銀行員の妻」は役不足だったに違いありません。
誰よりもファーストレディがお似合いですよね!
結婚後は2人の娘に恵まれ仲睦まじく
結婚後、お二人は2人の娘さんに恵まれました。
- 1987年生まれ,36歳
- 母と同じ女子学院を経て早稲田大学へ
- 東京電力に入社(ちなみにお父さんのコネではないということです。)
- 1990年生まれ34歳
- 豊島学園高校を経て東京理科大へ
- 薬剤師の免許を持ち、エーザイに就職
家では夫が女3人に囲まれていますから、肩身が狭そうです(笑)
晩ご飯を食べながら、“一緒に飲もう”と言うんですが、私は下戸ですし、娘たちもあまりつきあわないので“つまらないなァ”とちょっと寂しそうで。
娘には若い世代の働き方や暮らしについてよく意見を聞いています。“お父さん、わかってないなァ”なんて言われながら、娘の話を“フンフン”と聞いていますよ
2人のお嬢さんは、一緒に住んでいるということで、結婚はされていないようですね。
年齢的にもご両親は心配でしょうが、お母さんともども石破氏の眉メーク手伝ったりと
力強い支えになっているようです。
石破茂さんの顔を見る目が変わってくるエピソードです
まとめ
- 石破佳子さんは、東京地出身、元昭和電工の取締役だった父の次女として育ちました。
- 学歴は女子学院を経て慶應義塾大学法学部に進学し、石破茂氏と出会いました
- 若い頃から才色兼備の美女で男子学生の憧れの的でした
- 2人の娘と夫を家族に持ち、謙虚で清楚なファーストレディとして今後の活躍が楽しみです
- 石破佳子さんは夫の茂さんのことを”家ではハト派”といっていますが、どういう意味ですか?
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政界において敵の多い旦那さんが、「家では温厚な平和主義者」という意味でしょう。
- 石破佳子さんは鳥取県に住んでいるのですか?
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自宅住所は東京にありますが、選挙区が鳥取なので、往来が大変なようです。
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