栃木県那須町の河川敷で無惨な焼死体で発見された宝島龍太郎さん夫妻。容疑者として逮捕されたのはあろう事か、長女の内縁の夫、関根誠端(せいは)32歳でした。
関根容疑者は宝島さん夫妻を「パパ」「ママ」と慕い、やり手だった宝島幸子さんの右腕として働いていたという事です。「誠端(せいは)」という名前は日本人としては珍しいですよね?関根容疑者も宝島さん夫妻同様帰化した中国人なのでしょうか?
本記事では関根誠端の生い立ちや経歴を追ってみたいと思います。
関根誠端は帰化した中国人か
関根容疑者は世田谷区等々力の自宅で任意同行を求められ、それを拒否したため逮捕されました。
逮捕された関根容疑者は32歳にしては貫禄があるように見えますね。
「誠端(せいは)」とは珍しい名前ですが、関根容疑者も宝島さん同様、日本に帰化した中国人なのでしょうか?
調べてみましたが今のところ、関根容疑者の国籍について詳しいことは明らかになっておりません。しかしながら関根容疑者が今回の殺害事件の実行犯としたら、その残忍性はまるで中国マフィアと言われていますので帰化した中国人というのも納得できますね。
逮捕された時関根容疑者は携帯電話を多数所持していた、ということです。中には平山綾拳容疑者の携帯電話もあったかもしれません。
身体中に刺青をいれ、幸子さんの用心棒のような存在だったという関根容疑者の生い立ちはどうなっているのでしょう?
関根誠端生い立ちは
関根容疑者はどこで育ってどのような生い立ちがあるのでしょうか?
文春オンラインの記事によると、関根容疑者は関根は1991年10月、東京・台東区の下町で生まれたという事です。
関根は1991年10月、東京・台東区の下町で生まれた。小学校の同級生が打ち明ける。『友達といたところは見たことがなかった気がする。いじめっ子タイプでした。確か小学校の途中で苗字が変わって関根になったはずなので、ご両親が離婚か再婚かしたのかなと思います』
引用元:文春オンライン
小学生の頃はいじめっ子で友達と打ち解けていない子供だったということです。この頃、姓が「関根」に変わったという事で母親が離婚したのか再婚したのか、家庭が円満ではなく、精神的に安定してなかった可能性はありますね。
少年時代は野球少年で“いい子”のイメージ
引用元:集英社オンライン
関根容疑者は15年ほ前まで、江東区内のマンションに母と姉、妹と暮らしていた。近くに住む50代男性が振り返る。「ああ、関根さん家ね。たしか息子さんが小学校高学年のころに家族で引っ越してきて、お姉ちゃんと妹とお母さんの4人暮らしだった。お父さんは見たことなかったから母子家庭だったんじゃないかな。息子さんが着てた中学の制服はここら辺の中学のじゃなかったから『どこの中学校通ってるの?』と聞いたら、『A中学(文京区の公立中学)です』と元気に答えてくれましたよ。
その後、小学校高学年の時に江東区に転居した模様です。転居先では「礼儀正しく、野球少年でいい子だった」イメージだということです。しかしながら、中学校時代の友人からは次のような証言があったようです。
「小柄ながらヤンチャなタイプで、クラスでは目立つ存在でした。でもクラスメートとの付き合いは表層的で、人と深く関わろうとはしないところもあった。」
文春オンライン
証言をまとめると
- 東京台東区で生まれた。
- 小学校高学年の時に両親が離婚し、江東区内のマンションに母・姉・妹と転居していた。
- 近隣住民には”いい子”の印象
- 学校ではいじめ子タイプで目立ちたがり、友達付き合いが希薄なタイプ。
ということになります。
関根誠端(せいは)経歴は
報道で明らかになっている関根誠端の経歴をまとめてみました。
小学校時代
東京都台東区で生まれた関根容疑者はそのまま公立の小学校に進学した模様です。その後、小学校高学年の時に両親が離婚し、江東区内のマンションに転居しました。家族構成は母・姉・妹の4人家族でした。
追記:内縁の妻となる宝時夫妻の長女とはこの頃からの知り合いと言われています
中学校時代
江東区から文京区にある公立中学校に通っています。わざわざ越境して文京区の学校に通っていたという事なので、母親は教育熱心な人だったのでしょう。野球部にも所属し、きちんと挨拶のできる愛想のいい子だったということです。
高校時代
高校は渋谷区の私立高校に進学しました。高校名や、偏差値などは明らかになっておりません。
渋谷区にある男子の通える私立高校は以下の4校です。
関根容疑者はその私立高校中退し、通信制の高校に通い直したということです。中退の原因は明らかになっておりません。
大学時代
関根容疑者は通信制の高校を卒業すると、専門学校で外国語を学んでいます。英会話はペラペラだったということですので地頭はいいのでしょう。
職歴
宝島容疑者のはっきりとした職歴は明らかになっておりません。文春の報道によりますと、いろいろな事業を展開していたようです。
成城マダムを相手に、詐欺行為を繰り返していたという関根は、当時、「経営に関するコンサルティング業務」や「飲食店の経営」などを目的とする会社を経営していたが、現在は閉鎖。その後「自動車販売業務」や「不動産の売買、賃貸、仲介並びに管理」、「ペットホテルの経営」、「美容サロン事業」など業務内容を拡大した別の会社を設立するが、「ペット関連の店など、自分の仕事をきっかけにお金持ちの女性に近づいて、食い物にしようとしていたフシがある」
文春オンライン
関根容疑者は32歳と若いながらSNSでのアカウントは何も見つかりませんでした、ひょっとしたら別の名前でアカウントがある可能性もありますね
追記:生い立ちと経歴から見る関根容疑者の性格「小心者で金に執着する見栄っ張り」
関根誠端が体にほった刺青の言葉「人生苦短 及時行楽」。これは「人生は短くて苦労ばかり。遊べるうちに楽しいことをやろう」という意味の中国のことわざの一つです。
逮捕時の関根容疑者は一見コワモテのマフィアのように見えましたが、周囲からの証言をまとめると次のような人物像が見えてきました。
- 元々は気弱で臆病。人間性が形成される大事な時期に家庭内の不和を経験した。
- 父親の不在により、お金に困る生活を経験し、金に対して異様に敏感で執着心を持つ。
- 世間体はよく、品がある爽やかな印象で、人の懐に入り込むのが上手い。
- ファッションや車など持ち物にこだわり着飾る傾向にある。刺青もファッションの一部と捉え、虚勢を張るタイプ
関根容疑は知人に対し、
小さい頃、経済的にすごく苦労した。だから、金持ちになりたい
幼少期の家庭環境が苦しかった
と語っていたといいます。
お金がある人を見極める能力は、長けていたのかなっていう気はしますね。スーって入ってきちゃう感じ。威圧感もないし、うっとうしいなって感じもないし。その辺の入り方がすごく上手だし、最初はかわいい奴だなってぐらいの感じなんでしょうね。 お金に関しては、貪欲な部分が多分あったとは思うんですよね。プライドは多分高かったと思います。自分のポジションがどうなのかっていうのは、すごく気にしていた。
引用元:yahoo
幼少期の家庭環境がトラウマになり、お金に対して異様な執着心が育っていったようです。また母親の教育へのこだわりからか、高くなってしまったプライドに中身が追いつかず、虚勢を張るようになっていったのでしょう。
ハーレーに乗ってきたり、有名なブランド物のキャップをかぶったり。 高級ブランドを身につけていることが多かった。1~2万の支払いにも10万くらい渡していた。お金は持っている感じだった。 最初は会社員として働いていたけど、人の下で働くのが嫌で2カ月で辞めたと話していた。仕事は携帯電話関連の会社の社長だと言っていた。金と権力にはこだわりがあった気がした。 自らを“会社経営者”と話すなど、その言動から、「金と立場へのこだわり」が垣間見えたという。
引用元:yahoo
宝島夫妻の長女である内縁の妻が取締役から外され、米国在住で弱冠20歳の次女が新たに取締役に就任したことにより、大きな危機感が関根容疑者を襲ったであろうことは想像に難くないです。
「しまいには、お店を取られそうだ……」
関根誠端は親しい知人にそう漏らしていたと言います。
まとめ
今回宝島さん夫妻の娘婿である関根容疑者が遺体遺棄容疑で逮捕されました。当初から宝島さん夫妻の殺害方法は特異性があり、中国マフィアによるものか、身近な人間による怨恨かと言われていました。
「誠端」という珍しい名前から、関根容疑者も帰化した中国人かと言われていますが、母親は離婚しており、父親について詳しい情報も無いため正確なことは不明でした。
事件の全容が明らかになるのも時間の問題でしょう。新しい情報が入り次第、いち早くわかりやすくまとめて行きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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